ホーム > 海外におけるBCL活動レポート > ブルガリア現地受信局調査 in ソフィア > ブ ル ガ リ ア 現 地 受 信 局 調 査 i n ソ フ ィ ア 2 0 0 1 . 4 . 1 3 〜 「 パ リ ・ ・ ・ そ し て ソ フ ィ ア へ 」 ■ 2001年4月13日(金) 〜 「パリ・・・そしてソフィアへ」 - 自分を乗せたデルタ航空22便パリ行きは、ほぼ定刻通り、18:10にアトランタを離陸した。 あれだけ搭乗がギリギリだったのに、よく遅れなかったものだ。 機体はジャンボ(747-400)より一回り小さく、座席の配列は「2−4−2」。 見回したところ、ほぼ満席の様子。なのに、なぜか自分の左隣だけは空いている。 アメリカでは、肥満体の米国人と隣り合わせになることも少なくないが、国際線でこれに当たったらもう、悲劇と言わざるを得ない。 さすがに隣の人までは選べないから、運を天に任せるしかないのだが、今回はとにかく誰もいなくて助かった。エコノミーなので周囲は窮屈そうにしているが、自分だけは2人分を占領してラクチンだ。 パリまでの飛行時間は7時間55分、と機内アナウンスが入った。 近い。日本に行ったら片道13時間。西海岸だって5時間はかかるのだから、パリが8時間っていうのはやっぱり近い。時差も僅か4時間だし。 スケジュールでは、パリ到着は現地時間08:10(アメリカ東部夏時間では02:10)。夜がなかなか来ない、というより、朝から終日みっちり過ごすことになるのだから、機内でしっかり寝ておかないと、、、 って、元々どこでも寝られてしまう方だから、この点あまり心配はしていない。(笑) パリには定刻通り到着。タラップを降りて、乗り換えゲートに向かう。ここからはもう、英語があまり通じない世界だ。(-。-; モニターで、自分の乗るソフィア行きエールフランス2686便の搭乗ゲートを確認。でも、コンコース「B」としか書かれていない。 エールフランスの女性職員に英語で尋ねたら、案の定「フランス語」で返事が返って来た。これがウワサのフランス人か、、、(-。-; (-。-; (-。-; ド・ゴール空港ではたくさんの日本人を見かけたが、さすがにソフィア行きのフライトに東洋人はひとりもいなかった。機内はガラガラ。このフライトに限ったら完全に赤字に違いない。 乗客はブルガリア人が多いようで、フランス語でもなければどこの言葉かよくわからない言語を喋っている(← よくわからないからきっとブルガリア語なんだろう、などと勝手に推定したりしている)。でも、スラブ系の言語であることぐらいは分かる。やっぱりブルガリア語ということにしておこう。(笑) 飛行機が下降を始めた。と同時に?だんだん眠くなって来た。(-。-; それもそのはず、アメリカはちょうど明け方。いくら機内で寝たとはいってもグッスリというわけには行かないから、いよいよ睡魔が襲って来たのかも。ウトウトしている間に、飛行機はソフィア空港に無事着陸。 とうとう来てしまった。空港のターミナルには、キリル文字で「Sofia Airport」。早速キリル文字のお出ましである。 ここでもまたタラップを降り、バスで入国審査場のある建物に移動。もともと乗客もそれほど多くなかったので、自分の順番はすぐに来た。審査は至って簡単で、ただスタンプを押してもらうだけ。入国目的も、滞在日数も聞かれない。 入国審査官に「ドーバル・デン(こんちは)」と言ってみたが、冷たく無視された。通じなかったのか?(-。-; (-。-; (-。-; と、ここで予期せず、ぶるがりや氏が現れた。まだ税関も抜けていないというのに、こんなところまで入って来られるなんて・・・ やはり、ただ者ではない! ガッチリ握手を交わす・・・こともなく、あたかも昨日会ったかのように普通に会話が始まるあたり、やはり我々ならでは、である。実際のところはおよそ1年半振りの再会なのだが、そんな感じはまったくない。 カローセルが回り出した。アトランタで預けたスーツケースは、無事ソフィアまで来ているだろうか。 過去、荷物が行方不明となり翌日の飛行機で届いた、なんてことがあった。あれ以来、預け荷物はどうも心配でならない。しかも、今回はたくさんの「機材」が入っているだけに、なくなったりしたらシャレにならない。 でも、程なくして出て来て安堵する。 税関には数名の職員がヒマそうにタムロしていたが、悠然とと「Nothing to declare」のレーンを通り抜けた。 呼び止められることもなく、この怪しい「機材」たちも無事ブルガリアに入国することが出来た。^o^ << 4月12日(木) 「いよいよ出発!」 4月14日(土) 「現地受信局調査事前打ち合わせ」 >>
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